注目の若手社長が語った「ケータイ業界の過去・現在・未来」
2007年07月05日 06:56
彼のことをこのブログで取り上げるのは、もう3,4回目だと思う。
私がパソコン通信にのめりこんでいた時代、15年くらい前だろうか、今でいうならsnsのようなノリのコミニュケーションの場として機能していたのが、パソコン通信だった。
当時、私が運営するパソコン通信のホストに、高校生だった彼がよく遊びに来て、くだらない話をネット上で繰り返していたものだ。
そして毎回同じことを書いているような気がするが、今の私のブログよりも、さらにくだらない話が満載のパソコン通信仲間だった彼が、今じゃすっかり手の届かない存在に・・・。
3年ほど前に東京へ行った時に、連絡して久しぶりに会ったが、それ以降とくに連絡はとっていない。
彼と同じ土俵で仕事を出来るチャンスがあったのに、それを何の努力もためらいもなく、手放してしまったあのころの自分の軽さを、今は呪いたい気分だが、常人には理解不能な世界、銀座でオカマデビューする路線を選ぶほどに、精神状態がまともじゃなかったあのころの私には、未来を夢見る力など、これっぽっちも残ってはいなかったのだろうから、仕方なかったと思う・・・。
でも、仕方なかったですませられないのが本音であるのならば、今からリベンジすれば良いのだ。
私より生命線の長い人には会ったことない。
たぶん、150歳くらいまでは生きるだろうから、まだ人生4分の1程度、間に合う間に合う♪
彼が活躍してくれればしてくれるほど、私のモチベーションはあがるわけで、今後も嫌になるほど目立ってくれるとありがたい。
注目の若手社長が語った「ケータイ業界の過去・現在・未来」
株式会社ユビキタスエンターテインメントの代表・清水亮氏は経済産業省による「未踏スーパークリエイター/天才プログラマー認定制度」によって国から認定された注目の天才プログラマーだ。携帯業界で活躍する新進気鋭の天才が、独立した理由から国内携帯業界の問題点、そしてその将来までを語った。
株式会社 ユビキタスエンターテインメント 代表取締役社長兼CEO 清水亮
1976年新潟県長岡市生まれ。電気通信大学在学中に米マイクロソフト社の家庭用ゲーム機戦略に関わった縁で大学を中退。1998年に株式会社ドワンゴへ入社。携帯電話コンテンツ事業を立ち上げる。2002年に米DWANGO North America社でコンテンツ開発担当副社長を経て、2003年 有限会社ユビキタスエンターテインメント設立。来るべきユビキタス時代のコンテンツビジョナリーを目指すユビキタスコンテンツプロバイダーとしてケータイ電話、PC、2足歩行ロボット、デジタル放送、カーナビゲーションシステムなど、さまざまなプラットフォームに向けたユビキタスコンテンツの企画、制作、開発を手がける。
私がパソコン通信にのめりこんでいた時代、15年くらい前だろうか、今でいうならsnsのようなノリのコミニュケーションの場として機能していたのが、パソコン通信だった。
当時、私が運営するパソコン通信のホストに、高校生だった彼がよく遊びに来て、くだらない話をネット上で繰り返していたものだ。
そして毎回同じことを書いているような気がするが、今の私のブログよりも、さらにくだらない話が満載のパソコン通信仲間だった彼が、今じゃすっかり手の届かない存在に・・・。
3年ほど前に東京へ行った時に、連絡して久しぶりに会ったが、それ以降とくに連絡はとっていない。
彼と同じ土俵で仕事を出来るチャンスがあったのに、それを何の努力もためらいもなく、手放してしまったあのころの自分の軽さを、今は呪いたい気分だが、常人には理解不能な世界、銀座でオカマデビューする路線を選ぶほどに、精神状態がまともじゃなかったあのころの私には、未来を夢見る力など、これっぽっちも残ってはいなかったのだろうから、仕方なかったと思う・・・。
でも、仕方なかったですませられないのが本音であるのならば、今からリベンジすれば良いのだ。
私より生命線の長い人には会ったことない。
たぶん、150歳くらいまでは生きるだろうから、まだ人生4分の1程度、間に合う間に合う♪
彼が活躍してくれればしてくれるほど、私のモチベーションはあがるわけで、今後も嫌になるほど目立ってくれるとありがたい。
注目の若手社長が語った「ケータイ業界の過去・現在・未来」
株式会社ユビキタスエンターテインメントの代表・清水亮氏は経済産業省による「未踏スーパークリエイター/天才プログラマー認定制度」によって国から認定された注目の天才プログラマーだ。携帯業界で活躍する新進気鋭の天才が、独立した理由から国内携帯業界の問題点、そしてその将来までを語った。
株式会社 ユビキタスエンターテインメント 代表取締役社長兼CEO 清水亮
1976年新潟県長岡市生まれ。電気通信大学在学中に米マイクロソフト社の家庭用ゲーム機戦略に関わった縁で大学を中退。1998年に株式会社ドワンゴへ入社。携帯電話コンテンツ事業を立ち上げる。2002年に米DWANGO North America社でコンテンツ開発担当副社長を経て、2003年 有限会社ユビキタスエンターテインメント設立。来るべきユビキタス時代のコンテンツビジョナリーを目指すユビキタスコンテンツプロバイダーとしてケータイ電話、PC、2足歩行ロボット、デジタル放送、カーナビゲーションシステムなど、さまざまなプラットフォームに向けたユビキタスコンテンツの企画、制作、開発を手がける。